神戸で日本初の映画上映

12月1日
昭和31年(1956年)映画産業団体連合会が制定しました。

小さな映画館の客席とスクリーン
Photo by 写真AC

明治29年(1896年)11月25日、トーマス・エジソンが発明したキネトスコープを用い、日本で初めて神戸で映画が一般公開されました。
それから60年後、覚えやすい日にちの12月1日を映画の日としました。

キネトスコープは箱をのぞき込む形式でした。
リュミエール兄弟はスクリーンに上映して一度にたくさんの人が見られるシネマトグラフを発明しました。

これを用いた映画の上映が明治30年(1897年)1月、京都で行なわれ、翌月に同じ場所で日本初の有料上映がされました。

サイレントからトーキーへ

当初は輸入映写機による輸入フィルムの上映でしたが、明治32年(1899年)頃から国産の映画が上映されるようになりました。

当時、映画は活動写真と呼ばれ、音声のない無声映画(サイレント映画)でした。
そこで、活動弁士がスクリーンの横に立ち、生で映画の進行や台詞をアテレコしました。
BGMも生で演奏していました。
徳川夢声のような人気活弁士も登場し、活躍しました。

昭和6年(1931年)に音声の入ったトーキー映画が封切られ、弁士たちがストライキを起こす騒動もありました。

映画、日本で最初尽くし

映画の撮影技師
明治30年(1897年)に日本橋の光景を映した『日本橋の鉄道馬車』を制作した、小西写真店(現・コニカミノルタ)の浅野四郎
映画俳優
明治32年(1899年)の日本最初の劇映画『ピストル強盗清水定吉』に出演した、新派の俳優の横山運平
映画専門館
明治36年(1903年)に設置された、東京浅草の「電気館」
映画監督
明治41年(1908年)に本格的な劇映画『本能寺合戦』を撮影した牧野省三で、「日本映画の父」と呼ばれます。
映画女優
大正8年(1919年)の『深山の乙女』と『生の輝き』に出演した、芸術座の花柳はるみ。
それまで、歌舞伎の女形のように男性が女性を演じていました。両作品は現代劇の実験作でした。
トーキー映画
昭和4年(1929年)の発声映画社制作『大尉の娘』ですが、音声と字幕の併用でした。
完全なトーキー映画
昭和6年(1931年)に五所平之助が撮影した『マダムと女房』
短編アニメーション映画
大正6年(1917年)の幸内純一の『なまくら刀』で、10分間ほどの作品でした。
トーキーのアニメ映画
昭和7年(1932年)の政岡憲三の『力と女の世の中』で、政岡は「日本のアニメーションの父」と呼ばれます。
長編アニメーション映画
昭和17年(1942年)芸術映画社制作の『桃太郎の海鷲』で、太平洋戦争中の国策映画でした。
全てをセル画で制作したアニメーション映画
昭和18年(1943年)の松竹制作の『くもとちゅうりっぷ』です。
長編カラーアニメーション映画
昭和33年(1958年)の東映制作の『白蛇伝』
特撮映画
特撮技術は映画の黎明期から演出として使われていましたが、日本独自の映像技術として確立した円谷英二は「特撮の神さま」と呼ばれます。
彼は昭和29年(1954年)公開の『ゴジラ』から始まるシリーズで、世界初の「特技監督」を名乗りました。

映画の日は入場料割引

映画の日には、映画館の入場料金の割引や特別招待などが実施されます。
また、「『映画の日』中央大会」が行なわれ、永年にわたって映画業界に功績のあった人たちが表彰されます。

現在は制定当時よりも入場料金の割引が増え、都道府県や映画館単位の独自の割引サービスもあります。