日本最初の料理は「なます」

日本食とは、日本の気候・風土の中で長い年月を掛けて発達した、伝統的な料理のこと。

日本には四季があることから、海や山からの食材に恵まれています。
それらを、主食としての穀物(おもに米)を中心に置いて、味噌や醤油などで合うように調理する技術が発達しました。

日本でもっとも古い料理は、『日本書紀』に登場します。
景行天皇の53年(123年)、景行天皇が御子の日本武尊の足跡をたどって東国巡幸したとき、随行していた磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が白蛤(うむぎ)と堅魚(かつお)を調理した「なます」を献上したと記されています。
このことから、磐鹿六雁命は日本料理の祖神と仰がれています。

まず有職料理が発展

天武天皇4年(675年)に肉食禁止令が発令され、縛りがある中で日本料理は独特な進化をしていきます。

奈良時代、貴族は唐の食事を取り入れて宮廷料理(有職料理)の基礎を作りました。

平安時代、光孝天皇は四条中納言 藤原山蔭を重用して、日本料理を発展させます。
藤原山蔭は室町時代に成立する四条流料理家元の元祖と仰がれます。

延長5(927)年に完成した有職故実を定める『延喜式』に、大饗料理の配膳の仕方、料理法、季節の行事での食事などが定められました。

こうして平安時代の前期には日本料理の体系がほぼできあがりました。

精進料理、本膳料理

鎌倉時代には栄西・道元などの禅僧によって精進料理が発達します。

武士の間からは椀飯振舞と呼ばれる、今日の新年宴会や忘年会の元となる習慣が現れました。

武士の食事はいつでも体を動かすことができるよう、獣肉も取り入れた1日3食になりました。

室町時代には技巧的に発展し、式正膳・五五三膳・七五三膳などの様式が生まれ、本膳料理となりました。

四条・大草・園部・高橋・進士・生間の流派が起こって料理の家元制が確立しました。

料理技術や調理法も、各流派で競って発達しました。

武家には公家のような礼法がなかったため、室町幕府に重用された小笠原家が食事を含めた武家の礼法を確立しました。
現在も続く「小笠原礼法」です。

このときに、ご飯・左側の皿・右側の皿・向こう側の皿を一箸ずつ順番に食べることなどが決められました。

南蛮料理、会席料理、茶懐石

安土桃山時代には南蛮船の来航により、南蛮料理や南蛮菓子が伝えられました。

また、茶の湯が大成し、懐石会席料理など日本独特の膳組が発達しました。

庶民の料理

江戸時代に入ると、武士よりも財力のある町人が日本料理の発展に寄与しました。

金を惜しまぬ贅沢な料理や、豪華な器を用いた酒宴が行なわれるようになりました。

堅苦しくて時間のかかる本膳料理や懐石料理は敬遠され、自由に酒宴を催すことができる会席料理が誕生しました。

元禄年間(1688~1703)には料理茶屋が現れ、庶民の食文化が一気に発達しました。

明治維新後は、西洋料理や中国料理が入ってきて、日本料理はまた変化を遂げました。

江戸時代後期に隆盛した高級な日本料理や料理茶屋は客足が遠のいて、衰退していきました。

それでも昭和15(1940)年頃までは、上流家庭では料理人を家に呼んで料理を作らせて招宴を開いたり、高級料理店で酒宴を開いたりして本膳料理を継承していました。

現代では、一般庶民も料理店で会席料理での招宴を開いています。