暦注はたくさんある

暦に書かれている暦注の中で、六曜、十二直、七曜、二十八宿、九星、暦注下段に含まれないものをまとめて「選日(せんじつ)(撰日)」または「雑注」といいます。

ここであげる暦注は、古くからの日本の風習となったものです。

土用

土をすくうシャベル
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「どよう」と読み、雑節の中にある夏の土用が有名です。

四季を木火土金水の陰陽五行に当てはめようとすると、当然のことながら五行が1つ余ります。
そこで、四季に季節の変わり目の18日間という時期を作って、ここに五行の土を当てはめました。
この18日間、年間合計72日間を「土用」と呼びます。

「土」はものを変化させる作用があり、「用」は「はたらく」と言う意味なので、土用は土気がもっとも働く期間とされます。

この土用期間を、土公神(どくじん、どこうじん)という神さまが支配します。
土公神は土を司る神さまなので、土用期間には葬送をして墓を築いたり、土を動かすこと、竈を作ること、井戸掘り、壁塗りなどの造作が凶とされました。

また、家の中では春は竈を司るので、竈の改造や築造は避けるとされます。
同じように、夏は門、秋は井戸、冬は庭を触ることを避けます。

しかし、年間72日間もこれを守っていると日常生活に支障を来たします。
そこで、土用にも間日を設け、この日は文殊菩薩が土公神一族を清涼山に集めて、土を動かしても祟りがないように計らってくれた、ということにされました。

この間日は、土用期間中の4日に1度まわってくるので、日常生活を無事に営むことができます。

庚申

「こうしん」と読みます。

毎日の十干十二支を陰陽五行に配当していくと、六十干支(60日)で干支と五行で同じ気が重なる日が12日あります。
そのなかの庚申(かのえさる)の日のことで、年に5~7回あります。

十干の庚は、五行の金(か)の兄(え)と同じ金で、申も五行の金が当てはまります。
そこで、金が重なって天地が冷え、人心も冷酷になる日とされました。
そして、この日は天地の万物が変革される重要な日と考えられていました。

庚申の夜、人間の身体の頭と腹と足に住み、その人の悪行を監視している三尸(さんし)の虫が這い出して、天上の天帝に悪事を報告し、その人の寿命を縮めるといわれます。

それを阻止するため、人々は庚申の夜は寝ずに酒盛りなどをしました。
これを「庚申待ち」「宵庚申」といいます。

日本にはかなり古くに伝えられ、『枕草子』にも庚申待が登場します。
江戸時代には民間でも盛大に行なわれました。

庚申が年に7回あるときは「七庚申」といって喜ばれ、庚申待の夜には七色の菓子を供えたり、七度真言を唱えたりしました。

仏教では庚申の本尊を青面金剛あるいは帝釈天、神道では猿田彦神と結びつけて「庚申祭り」が行なわれます。また、申(さる)からの連想で、「見ざる・言わざる・着かざる」の三猿の山王信仰とも結びつけられました。

申は「去る」と読めることから、婚礼には凶とされます。

甲子

「こうし」「かし」「きのえね」と読みます。

六十干支の一番初めの日は甲子で、五行では「水気によって木気を生じる」相生(そうじょう)に当たります。
そのため、これに当たる年は吉祥年、日は吉日とされました。

甲子の夜は大黒天を祀りました。
そして「庚申待ち」と同じように「甲子待ち」といって、夜の子の刻まで起きて、大豆・黒豆・二股大根を食べました。

この風習は江戸時代に盛んに行なわれました。

己巳

「つちのとみ」と読み、「巳待」ともいいます。

己巳は六十干支の6番目に当たります。

巳は十二支獣では蛇に当たり、蛇は弁天さまの使いと考えられているので、己巳の日に弁天さまを祀るようになりました。

この日はすべての物事を整理するのに吉日とされます。

この風習は日本独自のものです。

臘日

「ろうじつ」「ろうにち」と読みます。

大寒に近い辰の日です。

または、小寒から2度目の辰の日ともされます。

歴史は古く、日本最古の暦である具注暦に記載されています。

もとは年の最後の日にあたり、大晦日、大年、大歳といいました。

「臘」は「猟」の意で、自分が狩猟で捕らえた獲物を先祖にお供えし、行く年の感謝と来たる年の幸福を祈願しました。

また竈の神さまを祀って禊ぎを行なう日で、この日の婚礼は凶とされます。