重陽の節句
重陽の節句とは
9月9日。
五節句のうちのひとつで、旧暦九月九日のこと。
別名「菊の節句」といいます。
古くから中国では、1から9までの数字のうち奇数を「陽数」といい、縁起のいい数字と考えてきました。
九月九日は最大の陽数である9が、月と日ともに重なるので「重陽」「重九」と呼び、大変めでたい日とされてきました。
そのめでたい日に邪気を祓い、不老長寿を願って、菊の花を飾って酒盛りをしました。
昔、中国にある菊水という川は、崖の上に咲いている菊の花びらからしたたり落ちている水のおかげで甘く、川の水を飲んだ人は長生きした、という伝説からきています。
宴を開いて菊酒を飲む
日本では宮中で観菊の宴が行なわれ、川に杯を浮かべて自分のところへ流れてくるまでに歌を詠み、その杯をとって酒を飲むという曲水の宴に発展しました。
古くは天武天皇14年(685年)、天皇が重陽の宴を催したことが記録に残されています。
江戸時代には、重陽の節句は五節句の中でもっとも公式で重要な行事として、諸大名は江戸城に上がってお祝いの言葉を述べ、酒に菊を浮かべて飲みました。
菊の着せ綿
重陽の節句の前夜に菊の花に真綿を覆い被せ、その綿で身体を拭いて長寿を願う風習を「菊の着せ綿(被綿)」といいます。
平安時代にはすでに行なわれており、『枕草子』に「九月九日は曇天がいい(湿気で香りが綿によく移るから)」と書かれています。
庶民の重陽の節句は江戸時代から始まった
江戸時代までは、菊は天皇や貴族だけの花でした。
(だから、菊のご紋は天皇家の紋章なのです)
しかし、江戸時代には庶民も菊の花を楽しむようになりました。
菊酒を飲み、栗ご飯を食べました。
またこの日以降は、酒を温めて飲むと病気にかからない、といわれます。
重陽の節句におせち料理を食べてお祝いをする風習も広まりましたが、桃の節句や端午の節句ほど一般的にはなりませんでした。
なお、長崎市の諏訪神社のお祭りである長崎くんちの「くんち」は、重陽の節句の「九日」が九州方言でなまったもの、という説があります。