天使と悪魔の間で頭を抱える人のイラスト
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選日って何?

暦に書かれている暦注の中で、六曜、中段(十二直)、七曜、二十八宿、九星、暦注下段に含まれないものをまとめて「選日(せんじつ)(撰日)」または雑注といいます。

市販の運勢暦では記念日やお祭りや二十四節気などと一緒に、「行事」のところに書かれていることが多いようです。

選日のなかでは、三隣亡、一粒万倍日、不成就日が有名ですね。
これらを含めた選日に分類される9つの暦注を説明していきます。

一粒万倍日(いちりゅうまんばいび いちりゅうまんばいにち)

文字通り、ひと粒の籾が万倍もの実を実らせるという大吉の日です。

この日はすべてのことを始めるのに良い日で、とくに仕事始め・開店・種まき・金銭の貸し出し・投資に吉です。
しかし、金や物を借りるとのちのち苦労が増えるとされます。

また、この日に善行を積み重ねると、万倍になって自分に戻ってくるともされます。

江戸時代初めの暦に「万倍」とだけ記載されていましたが、貞享暦で外されてしまいました。
明治6年の新暦から、庶民の暦に復活したようです。

月によって決まった干支の日が、一粒万倍日になります。
ひと月に複数回あるため、ほかの暦注の吉日に重なったら効果が倍増、凶日に重なったら効果が半減するとされます。

一粒万倍日の配当

正月(立春の日から啓蟄の前日まで) 丑・午の日
二月(啓蟄の日から清明の前日まで) 酉・寅の日
三月(清明の日から立夏の前日まで) 子・卯の日
四月(立夏の日から芒種の前日まで) 卯・辰の日
五月(芒種の日から小暑の前日まで) 巳・午の日
六月(小暑の日から立秋の前日まで) 酉・午の日
七月(立秋の日から白露の前日まで) 子・未の日
八月(白露の日から寒露の前日まで) 卯・申の日
九月(寒露の日から立冬の前日まで) 酉・午の日
十月(立冬の日から大雪の前日まで) 酉・戌の日
十一月(大雪の日から小寒の前日まで) 亥・子の日
十二月(小寒の日から立春の前日まで) 卯・子の日

八専(はっせん はちせん)

「八せん」と記載する暦もあります。

毎日の十干十二支を陰陽五行の木火土金水に配当していくと、全部で60日(六十干支)のうち、十干十二支と五行とで同じ気が重なる日が12日あります。

六十干支の終わりの方の12日間(壬子から癸亥の間)に、同一の気となる日が8日固まって発生します。

同一の気となる日のことを「専一(せんいつ)」といい、この専一の8日間を特別に「八専」と呼びます。

また、同一の気でない残り4日を「間日(まび)」といいます。

六十干支は1年に約6回循環するので、八専も年に6回、約72日間あります。
暦には、壬子の日に「八専始め」「八専に入る」、癸亥の日に「八専終わり」などと書かれています。

もとは軍事上の忌日として、築城・軍営・出兵・出陣などの凶日として重要視されていました。
江戸時代にはまず鍼灸の忌日として、庶民に広まりました。
やがて家造り・地ならし・植樹など建設的なことに吉で、破壊的な物事を始めること、婚礼・法事などの仏事・人を雇い入れることに凶の日とされるようになりました。

八専の日は冥界を司る神々が天に昇るので、神事や仏事を行なっても意味がないともいわれます。

八専の初日が晴れだと八専中は雨が続く、反対に八専の初日が雨だと八専中は晴れが続くといわれ、旅立ち・家の修繕・婚礼などの日取りを決めるのに用いられることがありました。

八専の2日目を八専太郎といい、この日に雨が降ると長雨になるので農家の厄日にされることもありました。

八専の間日は、何をしても差し支えないとされます。

日の十干十二支と五行の配当

日の十干と五行 日の十二支と五行 この日は…
壬=水 子=水 壬子 八専
癸=水 丑=土 癸丑 間日
甲=木 寅=木 甲寅 八専
乙=木 卯=木 乙卯 八専
丙=火 辰=土 丙辰 間日
丁=火 巳=火 丁巳 八専
戊=土 午=火 戊午 間日
己=土 未=土 己未 八専
庚=金 申=金 庚申 八専
辛=金 酉=金 辛酉 八専
壬=水 戌=土 壬戌 間日
癸=水 亥=水 癸亥 八専

十方暮(じっぽうぐれ じゅっぽうくれ)

「十方ぐれ」と記載する暦もあります。

これも八専と同じく六十干支を五行に当てはめていくのですが、同気ではなく相剋する10日間を指します。

暦注には、相剋する最初の甲申の日に、「十方暮に入る」「十方ぐれ入り」などと記載されます。
(十方暮の終わりは書く暦と書かない暦があります。)

十方暮の日は、四方すべてが闇に覆われ天地の気が相互に敵対するため、八方ふさがりになりやすくなります。
そうなると万事何をしてもうまくいかず途方に暮れるので、静かに暮らすべき厄日といわれます。
とくに、婚姻、新しい事、遠出、移転、相談事、建築は凶とされています。

江戸時代には重要な凶日とされていたようです。

暦に間日(同一の気にあたる己丑と、相生にあたる丙戌)の記載はなく、間日であっても天地の気の相剋の影響を受けるので、10日間ずっとうまくいかない日とされます。

日の十干十二支と五行の配当

日の十干と五行 日の十二支と五行 この日は…
甲=木 申=金 甲申 相剋(金剋木)
乙=木 酉=金 乙酉 相剋(金剋木)
丙=火 戌=土 丙戌 相性(火生土)
丁=火 亥=水 丁亥 相剋(水剋火)
戊=土 子=水 戊子 相剋(土剋水)
己=土 丑=土 己丑 比和(同気)
庚=金 寅=木 庚寅 相剋(金剋木)
辛=金 卯=木 辛卯 相剋(金剋木)
壬=水 辰=土 壬辰 相剋(土剋水)
癸=水 巳=火 癸巳 相剋(水剋火)

三隣亡(さんりんぼう)

建設中の木造家屋の基礎部分の写真
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三隣亡は、二十四節気で区切られた1ヶ月の中の、決まった十二支の日に配当されます。

十二支の活動が凶変するため、この日に棟上げ・普請始め・柱立て・土起こし・移転を行なうと、三軒隣まで焼き滅ぼされてしまうといわれます。
大工さんにとっては大凶日で、この日に高いところに上ると怪我をするともされます。

江戸時代初め頃の伊勢暦(地方で独自に作られた暦の一つ)などに、「屋造りに凶とされる忌み日」のうちの一つと記載されていました。

「三隣亡」という名称は新しく、幕末から明治以降に六曜と一緒に庶民に浸透していきました。
明治6年に旧暦から新暦に改暦したあとも「おばけ暦(無許可で発行された庶民の暦)」に記載され、現在に至ります。

江戸時代の古い書物に「三輪宝」とあり、「屋立てよし」「蔵立てよし」のめでたい日、と書かれていたそうです。
いつの間にか「よし」が「あし」に誤転記されてしまったのか、「三輪宝」が「三隣亡」に造語されたとも考えられます。

暦によっては、この日は人倫道徳の根源となる三輪宝神の縁日で、物が発生し、成育し、実を結ぶというしくみに従う「三輪宝」という日であるとされます。
「三輪宝」の日は先祖供養をする日なので、建築造作などで土を動かして植物の生育を害し滅ぼす行為をしてはならないとされます。

三隣亡の配当

正月(立春の日から啓蟄の前日まで) 亥の日
二月(啓蟄の日から清明の前日まで) 寅の日
三月(清明の日から立夏の前日まで) 午の日
四月(立夏の日から芒種の前日まで) 亥の日
五月(芒種の日から小暑の前日まで) 寅の日
六月(小暑の日から立秋の前日まで) 午の日
七月(立秋の日から白露の前日まで) 亥の日
八月(白露の日から寒露の前日まで) 寅の日
九月(寒露の日から立冬の前日まで) 午の日
十月(立冬の日から大雪の前日まで) 寅の日
十一月(大雪の日から小寒の前日まで) 亥の日
十二月(小寒の日から立春の前日まで) 午の日

天一天上(てんいちてんじょう てんいってんじょう)

六十干支を五行に当てはめた、癸巳から戊申までの16日間を指します。

この期間は、天一神(てんいちしん)(艮神)という方角の神さまが天に上って悪さをしないので、吉日とされます。
どの方角へ進んでも良しとされ、とくに相場師が縁起を担いでこの日を用いました。

最初の天一天上の日を天一太郎といい、この日に雨が降るとその後の天候がよくないとされて1年の豊凶が占われました。
また天一太郎の日は結婚などには最高の吉日とされます。

天一神は十二神将の主将で、別名「地星の霊」「天女の外神」「中神」と呼ばれる荒ぶる神です。

天一神は、44日間天から下りて8つの方角を巡り、45日目の癸巳の日に天上に帰って戊申の日まで16日間天上にいて、己酉の日にまた下りてくることを規則正しく繰り返します。
これを天一神遊行(ゆぎょう)といい、天一神の留まる方角は禁忌とされ、この方角に当たる者には祟りがあるといわれました。

この方角へ向かって出産したり、争い事や不浄な事をすると大きな災いや大厄を招くとされます。

天一神の留まる方角のことを「塞(ふさがり)」といい、塞に向かって物事を起こすことを忌みました。これを「物忌み」といいます。

この方角へ外出する場合はまっすぐ向かわず、別の方角から大回りして進まなければなりませんでした。これを「方違え」といいます。

平安時代の文学に出てくる「物忌みの方違え」は、この天一神を避けるために行なわれました。

天一天上の間、天一神の代わりに日遊神(にちゆうしん)が下りてきて、人家に留まって祟りを起こすから、家を綺麗にしなくてはならないとされます。

三伏(さんぷく)

初伏・中伏・末伏の3つの総称で、いずれも凶日です。

夏至のあと、3回目の庚(かのえ)の日を初伏、4回目の庚の日を中伏、立秋以降1回目の庚の日を末伏とするのが一般的です。

十干の庚は、五行の金(か)の兄(え)と同じなので金性です。
夏は五行では火の気(炎熱)が激しい時期なので、金は火に伏せられる、すなわち負けてしまうので凶とされます。

その凶日のうち、三伏は大凶です。
旅行、種まき、療養、婚姻、子作り、事業開始、移転などはすべて慎むべき日とされます。

不成就日(ふじょうじゅにち ふじょうじゅび)

「不浄日」と記載する暦もあります。

月と日の十二支と五行の組み合わせを基準にして、8日間隔で割り当てられるので、ひと月に4回あります。
(一粒万倍日と違い、1ヶ月は旧暦の月でみます。)

この日は、障りがあるため文字通り一切の事が成就しないので、事を起こすのに良くないとされます。

とくに、結婚、子どもの命名、開店、移転、契約などに凶です。
また、急な思い立ちや願い事も凶とされます。

江戸時代初めには会津暦(地方で独自に発行された暦の一つ)のみに記載されていましたが、中期にはほかの暦にも進出したようです。

不成就日に当たる日(旧暦の月)

正月・七月 三日・十一日・十九日・二十七日
二月・八月 二日・十日・十八日・二十六日
三月・九月 朔日・九日・十七日・二十五日
四月・十月 四日・十二日・二十日・二十八日
五月・十一月 五日・十三日・二十一日・二十九日
六月・十二月 六日・十四日・二十二日・晦日

大犯土(おおつち)・小犯土(こつち)

「大土」「小土」、「大つち」「小つち」などと記載する暦もあります。

犯土(つち)とは六十干支の土と、五行の土性が重なった日のことです。
庚午から丙子までの7日間を「大土(大犯土)」、翌日の丁丑を間日(「中犯土(なかつち)」)にして、次の日の戊寅から甲申までの7日間を「小土(小犯土)」といいます。

犯土の期間は、金神(こんじん)(金の精で殺戮の神 「暦の吉凶 方位神 | 歳事暦」で説明しています)の遊行日とも、土公神(どくじん)が本宮にあるため土の気がもっとも盛んになるともいわれます。

この期間は、文字通り土を犯してはならない日なので、井戸掘りや墓を築くこと、種まき、土いじりはいっさい慎むこととされます。
伐採した竹木は腐りやすいとの言い伝えもあります。

出産も禁忌とされていますが、前もって徳利に水を汲んでおいて、産湯に混ぜると災いを免れるとされます。

その他の暦注

選日(雑注)には分類されませんが、市販の運勢暦の暦注に一緒に記載されている事柄もここでご説明します。

これらもほかの暦注と同じく江戸時代の庶民に受け入れられ、日本の風習となったものが多くあります。

土用(どよう)

シャベルで土を掘り起こす写真
Photo by 写真素材 足成 | AkinoAnn

雑節の中にある夏の土用が有名です。

四季を木火土金水の陰陽五行に当てはめようとすると、当然のことながら五行が1つ余ります。
そこで、四季に季節の変わり目の18日間という時期を作って、ここに五行の土を当てはめました。
この18日間、年間合計72日間を「土用」と呼びます。

「土」はものを変化させる作用があり、「用」は「はたらく」と言う意味なので、土用は土気がもっとも働く期間とされます。

この土用期間を、土公神(どくじん どこうじん)という神さまが支配します。
土公神は土を司る神さまなので、土用期間には葬送をして墓を築いたり、土を動かすこと、竈を作ること、井戸掘り、壁塗りなどの造作が凶とされました。

また、家の中では春は竈を司るので、竈の改造や築造は避けるとされます。
同じように、夏は門、秋は井戸、冬は庭を触ることを避けます。

しかし、年間72日間もこれを守っていると日常生活に支障を来たします。
そこで土用にも間日を設け、この日は文殊菩薩が土公神一族を清涼山に集めて土を動かしても祟りがないように計らってくれた、ということにされました。

この間日は、土用期間中の4日に1度まわってくるので、日常生活を無事に営むことができます。

庚申(こうしん)

毎日の十干十二支を陰陽五行に配当していくと、六十干支(60日)で干支と五行で同じ気が重なる日が12日あります。
そのなかの庚申(かのえさる)の日のことで、年に5~7回あります。
八専の第9日めにあたります。

十干の庚は、五行の金(か)の兄(え)と同じ金で、申も五行の金が当てはまります。
そこで、金が重なって天地が冷え、人心も冷酷になる日とされました。
そして、この日は天地の万物が変革される重要な日と考えられていました。

庚申の夜、人間の身体の頭と腹と足に住み、その人の悪行を監視している三尸(さんし)の虫が這い出して、天上の天帝に悪事を報告し、その人の寿命を縮めるといわれます。

それを阻止するため、人々は庚申の夜は寝ずに酒盛りなどをしました。
これを「庚申待ち」「宵庚申」といいます。

日本にはかなり古くに伝えられ、『枕草子』にも庚申待が登場します。
江戸時代には民間でも盛大に行なわれました。

金が重なることから、逆に相場や売買にこの日を選ぶ人もいました。

庚申が年に7回あるときは「七庚申」といって喜ばれ、庚申待の夜には七色の菓子を供えたり、七度真言を唱えたりしました。

仏教では庚申の本尊を青面金剛あるいは帝釈天、神道では猿田彦神と結びつけて「庚申祭り」が行なわれます。また、申(さる)からの連想で、「見ざる・言わざる・着かざる」の三猿の山王信仰とも結びつけられました。

京都の八坂庚申堂にて七色のくくり猿に囲まれたびんづるさんの写真
Photo by 京都フリー写真素材

申は「去る」と読めることから婚礼には凶とされ、この夜にできた子どもは盗賊になるといわれました。

甲子(こうし かし きのえね)

甲子は六十干支の一番初めの日で、五行では「水気によって木気を生じる」相生(そうじょう)に当たります。
そのため、これに当たる年は吉祥年、日は吉日とされました。

甲子の夜は、福禄財宝の大黒天を祀りました。
十二支獣の子をねずみとし、ねずみは大黒さまの使いなので、子の日に大黒さまをお祀りするのです。
そして「庚申待ち」と同じように「甲子待ち」といって、夜の子の刻まで起きて、大豆・黒豆・二股大根を食べました。

この風習は江戸時代に盛んに行なわれました。

己巳(つちのとみ)

「巳待(みまち)」ともいいます。

己巳は六十干支の6番目に当たります。

巳は十二支獣では蛇に当たり、蛇は弁天さまの使いと考えられているので、己巳の日に巳待ちとして福徳賦与の弁天さまを祀るようになりました。

この日はすべての物事を整理するのに吉日とされます。

巳待ちは日本発祥の風習です。

臘日(ろうじつ ろうにち)

大寒に近い辰の日です。

または、小寒から2度目の辰の日ともされます。

歴史は古く、日本最古の暦である具注暦に記載されています。

もとは年の最後の日にあたり、大晦日、大年、大歳といいました。

「臘」は「猟」の意で、自分が狩猟で捕らえた獲物を先祖にお供えし、行く年の感謝と来たる年の幸福を祈願しました。

また竈の神さまを祀って禊ぎを行なう日で、この日の婚礼は凶とされます。